四萬部寺
■住所:埼玉県秩父市栃谷418
■駐車場:あり
■電話:0494-22-4525
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
※11月~2月は16:00まで
※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
※2巡目以降は200円
秩父観音霊場の発願の寺院で、「妙音寺」とも呼ばれる。平安時代の高僧として知られる性空上人の弟子である幻通が、師の命で秩父を訪れて4万部の経典を読経。供養のために経塚を築いたことが始まりとされ、寺の名前の由来にもなっている。本尊の聖観世音菩薩が安置された本堂は、元禄10年(1697)に秩父の名匠として知られた藤田徳左衛門吉久が建造。朱塗りに金箔が施され、3間(約5.5m)四面、表1間(約1.8m)に向拝を配置した入母屋造りの本堂は秩父霊場で唯一の埼玉県指定有形文化財になっている。また、本堂に向かって右側にある八角輪蔵を納めた施食殿では、8月24日に関東三大施食として有名な大施餓鬼会法要が行われ、宗旨を問わず秩父の僧侶が集う。
Kとの秩父札所巡りで6番目に訪れたお寺。本来はこちらが秩父札所巡りのスタート地点である。
埼玉県道82号 長瀞玉淀自然公園線と埼玉県道11号 熊谷小川秩父線が合流する地点の北側にある「四萬部寺」の前には、古民家造りの門前宿「秩父 旅籠一番 ~酒と料理を愉しむ古民家旅館~」が。
調べてみると古風ながらもしっかりしたお宿のようで、機会があったら泊まってみたいと思った。
お寺の駐車場は埼玉県道82号沿いにあり、そこからお寺に向かおうとすると裏から入ることになってしまう。
やっと1番札所に来られたという、ちょっとした興奮に包まれていたワタシたちは「あれ? 裏っぽくない?」と思いつつも、駐車場からまっすぐお寺に向かってしまった。
参拝の際は山門でまず一礼しないといけないのに失礼なことを…。もちろん、改めて山門から入りなおしましたよ。
「四萬部寺」の境内は決して広くはないものの、そこには秩父地方の社寺建造物の規範となった本堂をはじめ、石像やお堂などが並んでいる。人々が祈りを捧げる神域として厳粛な雰囲気に包まれていて、ワタシとしては身が引き締まるようだった。
ちなみにワタシたちがこちらに着いたのは15時前。日が西に沈んでいく時間帯ということもあってか他に参拝者はほとんどおらず、ゆっくりとお参りすることができた。
実際に入ってお参りできる本堂にはご本尊の聖観世音菩薩をはじめ、おたすけ観音様や賓頭盧尊者なでぼとけなども並んでいる。さらに、天井には狩野常信の弟子・抱素斎休世常耀益之による、迫力に満ちた龍の絵も。本堂内はさすがにピンと張りつめたような空気が漂っていた。
また、本堂正面の欄間には右側に「地獄之図」、左側に「極楽之図」の彫刻が施されている。
「地獄之図」は子どもの頃に本でよく見た、あのおっかない図だなぁ…なんてことを思い出させてくれた。
納経所で御朱印をいただく際、お寺の方が周辺案内図や秩父札所連合会公式パンフレットを使いつつ、近くにある2~5番札所への行き方を丁寧に教えていただく。
このあと、残り時間でどのお寺を回るかを決めるうえで非常に参考になった。ありがとうございました!
ちなみに、納経所の巡礼用品の充実ぶりは34札所の中でも群を抜いていて、Kには「白衣、3Lもあるよ」と言われてしまった。余計なお世話である。
御朱印をいただいたあとは境内を散策。「これは何?」「あれはなんだろう?」と好奇心まる出しで、たっぷりと時間をかけていろいろと回ってしまった。
室町時代の秩父札所番付では「四萬部寺」は24番だったとか。番付が1番になったのは江戸から主に川越街道を経てやってくる参拝者の便を考えてのことだという。
それでも江戸の中心だった日本橋から、現在の埼玉県比企郡小川町を経由した「四萬部寺」までの距離は約25里(約97.2km)。当時の旅人は1日に8里から10里(約31.4km~約39.3km)ほど歩いたそうだが、片道3日ほどはかかったろう。
江戸時代、人々はどんな思いを胸に秩父札所を目指したのだろうか…そんなことを考えているうちに、秩父札所巡りへの気持ちを新たにした次第だ。
何気ない思いつきから始め、最初に「円融寺」を訪れたなどという話はナイショである。
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(お出かけ日:2024年10月12日)
※施設情報は2024年10月時点のものです。