観音院
■住所:埼玉県秩父郡小鹿野町
飯田観音2211
■駐車場:あり
■電話:0494-75-3300
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
※11月~2月は16:00まで
※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
※2巡目以降は200円
標高約700mの観音山の中腹にある、岩壁を背に立つ姿が印象的な寺院。秩父札所の中で最西端に位置し、札所巡りでは難所のひとつに挙げられている。本尊の聖観世音は行基の作とされており、平将門が起こした天慶の乱(935~940)の際に紛失。鎌倉時代になってから幕府の有力御家人の1人だった畠山重忠が、狩りのためにこの地を訪れた際に鷲の巣を発見。家臣の本多次郎親常に矢を射させてみたところ、すべて跳ね返されたので巣を調べてみると、失われていた聖観音像を発見。奇縁を感じた重忠が堂宇を建立したのが始まりとされる。その後、江戸時代までは修験道の道場として栄えた。なお、現在の観音堂は昭和47年(1972)に建てられたものである。
Kとの秩父札所巡りで9番目に訪れたお寺。
秩父市街から国道299号を群馬方面に向かい、埼玉県道37号 皆野両神荒川線との交差点を過ぎたのち、山の中へ入っていった先にある。
30番札所「法雲寺」から歩くと約6時間。西武鉄道・西武秩父線の西武秩父駅からは栗尾行きのバスに50分ほど乗り、栗尾で下車。そこから仁王門(山門)までは45分ほどかかるとのことだ。
ちなみにワタシたちは「法雲寺」から車で「観音院」に向かったが、出発したのは11時20分頃で到着は11時45分頃。納経所の昼休憩が12時からなので、その前に御朱印をいただくにはけっこう微妙な時間だった。そのため、長い石段の写真は復路で撮影している。
入り口の仁王門は簡素な造りながらも、どっしりとした風格が漂っている。それもそのはず、門内に鎮座する仁王像は移動できる石仏としては国内でも最大級とのことだ。
仁王門をくぐった先には、石造りでは日本一であり、1年間手助けしてくれるという手助け仁王の大きな手のほか、埼玉県俳句連盟が奉納した句碑についての石碑がある。そして、お経を唱えながら上るとご利益があるという296段の石段についての説明も…296段!?
…思い出した。秩父札所には難所がいくつかあり、そのひとつが30番台だったことを(あとで調べなおすと31番だった)。そこには確か石段が約300段あると書いてあったはず。その石段が今ワタシたちの目の前にあるということか…。
石段には奉納された句碑が並んでいたが、このタイミングでは
じっくり読む時間がなかった。
途中、十二支の守り本尊である八体仏が祀られている。
ただし、12時になる前に観音堂まで行きたいワタシたちは帰りにお参りするということで、往路では足早に通過。
あと5分ほどで12時というタイミングで観音堂の手前までたどり着く。しかし、最後の最後に急な石段が…。かつて「戸隠神社」の奥社を目指したときのことを思い出した。
やっと観音堂を前にしたワタシは息を呑んでしまった。
なぜなら、観音堂にかぶさるように大きな岩壁が突き出ていたからだ。
約300段の石段を上ってきた疲れなど一気に吹き飛ばしてくれるような、圧倒的な光景だった。
とはいえ、いつまでも景色に見とれているわけにはいかない。なぜなら、あと数分で納経所が昼休憩に入ってしまうからだ。
短い時間ながらもワタシたちはしっかりと参拝したうえで納経所へ向かう。
微妙な時間にもかかわらず、お寺の方には丁寧に対応していただいた。そのうえ、ワタシたちが納経所を出るまでずっと深くお辞儀をしていただいて…。その姿にワタシは札所巡りに対して、より真摯に取り組もうと心に決めた。
ちなみに、こちらの納経所は巡礼用品が非常に充実。1番札所「四萬部寺」ほどではないにしても、それに次ぐ品揃えだと思う。
御朱印をいただいたあとは境内を散策。山の中腹にあるとはいえ、「観音院」は見どころが本当に多い。
聖浄の滝の左側の岩場にあるのが、弘法大師が一夜にして彫ったという爪彫り千体仏がある。こちらは「鷲窟磨崖仏」として埼玉県指定の有形文化財になっている。ただ、屋根で保護されているものの風化が激しい。
ここまででいろいろと見て回ったワタシたちだが、ある看板が目に入る。…東奥の院へのミニハイキングコースだって!?
好奇心旺盛なワタシたちが行かないわけがない!
1周15分と書いてあるものの、いろいろと見つけては立ち止まってしまうワタシたちが15分ですむはずがないだろうなぁと思いつつも東奥の院を目指すのだった。
新生代第3紀(約1700万年前)の地層がむき出しになっている岩肌の先にあったのは…またもや石段!
この石段はけっこう急なので、手すりにつかまりながら上った。帰りは絶対に手すりを利用しながら下りたほうが安全だ。
分かれ道まで着いたワタシたちはまず東奥の院のある見晴らし台を目指す。
途中には本多次郎親常が矢を射通したという岩穴の「矢抜け穴」があるとのことだ。
見晴らし台には東奥の院のほか、宝篋印塔や松尾芭蕉の句碑「香塚」などが狭い敷地に並んでいる。
比較的新しい東奥の院の建物の奥には、石造りの小さな堂宇があった。こちらがもともとの東奥の院なのかとも思ったが、実際のところはわからない。
見晴らし台から下へと続く道があったが、このまま山門まで下りてしまうのでは…と思ったワタシたちはいったん分かれ道まで戻り、かぶり岩の下に石仏群の並ぶ馬の蹄跡洞窟へ。
もし、こちらを散策する機会があったら、馬の蹄跡洞窟の先の道は見晴らし台への一本道になっているので、馬の蹄跡洞窟→見晴らし台の順番で回るといいと思う。ミニハイキングコースの案内板にはそう記されていたが、いまいちピンときていなかったワタシたちは右往左往したもので…。
馬の蹄跡洞窟の石仏群はそれこそ岩の間に挟まるようにして並んでいる。
「畠山重忠駒繋ぎ場」もあるとのことだが、ワタシたちにはわからなかった。
11時45分頃に「観音院」の駐車場に到着し、参拝と境内の散策を終わらせて再び駐車場に戻ってきたのは13時15分頃。ちょうど1時間半だった。
「観音院」をしっかり見て回るとしたらそれくらいの時間はかかるし、そうするだけの価値は絶対にある。
いつか西奥の院まで行ける日が来たら、必ず行きたいと思う。
そのとき、御朱印を書いていただいた方に再会できたらうれしい。
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(お出かけ日:2024年11月10日)
※施設情報は2024年11月時点のものです。