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秩父札所5番「語歌堂」~別世界を漂う朱塗りの観音堂~

秩父札所巡り
語歌堂

語歌堂
■住所:埼玉県秩父郡横瀬町横瀬
 6119
■駐車場:あり
■電話:0494-23-4701
 (長興寺)
※納経所は「長興寺」になります

長興寺の檀走だった本間孫八という人物が、慈覚大師の作といわれる准胝観世音菩薩を安置するために建立した観音堂。風流人だった孫八がある旅僧と和歌の奥義について観音堂で夜通し語り合い、翌朝には旅僧の姿は消えていたという。この旅僧が観音の化身だったと悟った孫八は観音堂を歌を語る堂=「語歌堂」と名づけて准胝観音を安置した。語歌堂が長興寺の境外仏堂として現在地に移ったのは江戸時代の享保5年(1720)で、現在の建物は文化年間(1804~1818)に再建。なお、准胝観音が本尊として祀られているのは、日本百番観音霊場の中でも語歌堂と西国札所11番の上醍醐寺のみ。

Kとの秩父札所巡りで12番目に訪れたお寺。
埼玉県道11号 熊谷小川秩父線が横瀬川と交差する東側から、東の山のほうに向かって住宅街を抜けた再起に「語歌堂」がある。

「語歌堂」の周囲には民家が点在するほか、境内の前には田畑が広がっている。そのうえ、境内は壁や柵で仕切られていないので、広々とした土地にお堂と仁王門がポツンとあるような印象だ。
一方、車に乗っていたワタシは道路を走っているときに仁王門がいきなり現れた感じがして、「語歌堂」の前を通り過ぎてしまった。この2日間は山の中にある札所ばかりめぐっていたこともあり、「札所=山中」というイメージを持っていたからかもしれない。

道沿いにある「語歌堂」の仁王門。

こちらのお寺は無住であり、周りには他の参拝者が2人いただけだったので、ワタシたちが訪れたときは昼間でもひっそりとしていた。
そういった雰囲気だったからこそなのか、朱塗りの「語歌堂」と仁王門は別世界を漂っているような不思議な感覚を覚えた。

仁王門の表側に立つ仁王像は色彩が豊か。裏側にいるという風神と雷神は撮り忘れです…。
「語歌堂」の裏側。上部の彫刻が目を惹く。

ちなみに「語歌堂」には、行方不明になった娘を探して信濃の国から訪れた老女が語歌堂の境内で疲れ果てていたとき、語歌堂の准胝観音に抱かれた娘を発見。語歌堂へのお参りを欠かさなかったことから「子返し観音」とも呼ばれているのだとか。

「語歌堂」の向拝の扁額。なんと書かれているかはワタシもKもわからず。
こちらは「語歌堂」入り口上部の扁額。周りは千社札でいっぱい。
「語歌堂」と名づけられたエピソードについて記された「観音霊験記」の扁額。

「語歌堂」でお参りしたあとは納経所のある「長興寺」へ。
歩いて200mほどだが周りに建物が少ないので、「語歌堂」の前からでも見えるほどだ。

長興寺(納経所)
■住所:埼玉県秩父郡横瀬町横瀬
 6086
■駐車場:あり
■電話:0494-23-4701
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
 ※11月~2月は16:00まで
 ※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
 ※2巡目以降は200円

室町時代の寛正2年(1462)に創建された寺院。佐野隼人(法名は梅山全林)が開基となり、竹印が開山したという。本尊は地蔵菩薩。秩父札所5番の語歌堂と9番の明智寺を兼帯し、現在は語歌堂の納経所が境内にある。

山裾にある「長興寺」は背後に木々が生い茂っていることもあってか、「語歌堂」とはまた違った趣きのあるお寺だった。創建は室町時代とのことなので、長い年月を経てこの地にしっかりと根を張っているからなのかもしれない。
ワタシたちが訪れたとき、本来の納経所は修理中だったようで、別の建物で御朱印をいただいた。

こちらが本来の納経所のようだ。山門から入って右側にある。
ワタシたちはこちらの建物で御朱印をいただく。お宅訪問のようでちょっと緊張。
「語歌堂(長興寺)」の御朱印。

「語歌堂」もそうだったが、「長興寺」も境内は手入れが行き届いていた。お寺の方々の心遣いが積み重なっているおかげで、今もワタシたちは札所巡りができているんだなぁ、とふと思った。感謝しながら札所巡りをしないと。

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(お出かけ日:2024年11月11日)
※施設情報は2024年11月時点のものです。

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