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秩父札所16番「西光寺」~秩父で四国八十八か所霊場巡り~

秩父札所巡り
西光寺の酒樽大黒天

西光寺
■住所: 埼玉県秩父市中村町
 4-8-21
■駐車場:あり
■電話:0494-22-4444
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
 ※11月~2月は16:00まで
 ※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
 ※2巡目以降は200円

八十八仏回廊堂の由来が刻まれた石碑。山門の手前にある。

秩父札所でも最古の遺構である札堂がある寺院。開創時期は定かではないが、かつては京都の仁和寺の末寺であったといわれており、現在は真言宗豊山派の長谷寺に所属。また、長享2年(1488)の「秩父観音札所番付」では13番札所に位置づけられていた。天明3年(1783)に群馬県の浅間山が噴火した際には秩父地方でも甚大な被害を受け、犠牲になった人々や家畜の供養のため、寛政7年(1795)に僧の法諄が四国八十八仏回廊堂を造営。本堂は宝永7年(1710)に建立され、本尊の千手観世音菩薩は奈良時代の高僧・行基の作といわれている。

Kとの秩父札所巡りで18番目に訪れたお寺。
秩父市街から秩父公園橋(ハープ橋)に向かう途中で南に入ったところにある。
「西光寺」は駐車場のすぐそばに山門が立ち、その奥に観音堂が見える。

「西光寺」の山門。屋根がついた棟門形式。
扁額には山号の「無量山」の文字が。
山門の中に掲げられた額。

山門の外からだと境内は狭いように見えるが、それは大間違い。
実際の敷地はあまり広くないのだろうが、観音堂を前にして左右に奥行きがあるように感じられた。
町中のお寺は狭いという先入観をなぜか抱いていたワタシにとっては、ちょっとした驚きだった。もしかしたら、境内にさまざまな建物がありながらも、観音堂の前が空いていたからかもしれない。

左側にあるのが観音堂。
観音堂の右手に札堂と金毘羅大権現が並ぶ。
札堂付近から見た観音堂。

観音堂は向拝の部分が丸く盛り上がるむくり屋根になっているのが特徴だ。
ご本尊の千手観音が安置されている手前の欄間には大きな釈迦涅槃像が彫刻されているので、こちらも見逃さないようにしたい。
ちなみに、縁側には手描きの絵が置かれていた。お寺の中では手書きの札や書が至るところに掲げられていたので、ご住職やお寺の方に書を嗜む方がいらっしゃるのかもしれない。

観音堂の前はなんとも暖かい。
観音堂の縁側にあった絵画。

「西光寺」は境内にさまざまなものがあり、見どころがびっしり詰まっている感じだ。
まず注目したいのが、観音堂の向かって右側にある札堂。3間(約5.5m)四面の方形造りで、正面と左右が吹き放ちになっているのが特徴だ。
現在の本堂が建立される前の観音堂であったと推測され、もともとは音楽寺(現23番札所)と法泉寺(現24番札所)の間、現在の秩父市別所のあたりにあったのではないかといわれている。

札堂の柱や梁に残っている小さな穴は納札の釘跡だ。

かつての納札は木製で、それを柱に打ちつけていたためだ。札所巡りを「打つ」ということがあるが、これは納札を打ちつけることに由来するという。

柱にはびっしりと釘跡が残っている。
中には当時の釘がそのままのところも。
札堂にある、摩訶般若波羅蜜多心経をわかりやすく記した額。
札堂のたどってきた歴史を解説した案内板。
札堂の看板。水木しげるの世界に出てきそう。
こちらの案内板には、札堂が札所開創当時のものとある。

また、観音堂の左手にある酒樽大黒天も見逃せないポイント。…というか、境内の中でもなかなかの存在感を放っているので見逃すことはまずないと思う。
こちらは大正時代に造られた酒蔵の仕込み樽を、昭和40年代に茶室として改装。たまたま大黒天を祀ったところ、招福のご利益ありとして多くの参詣を集め、願をかけて名刺を残す風習ができたという。
ちなみに、こちらの樽は三十石樽といい、1日3合30年分のお酒が入るとか。

案内板を読んだワタシはもちろん樽のたがの部分に自分の名刺を差してきましたよ。
少しでもこちらのブログを見てくれる方が増えるように、と現実的なお願いをして、ね!

酒樽大黒天の案内板。
樽の中に鎮座する大黒天。

境内の充実ぶりはなんとなく賑やかな手水舎からもうかがえる。
これはブログのために写真を見返していて、改めて思ったことだ。

「西光寺」の手水舎。
マンリョウがそっと挿してあった。
手水舎そばの観音像やお地蔵さま。

「西光寺」は江戸時代から明治時代にかけて寺子屋を営んでいたという。
そこで学んだ子ども(筆子)たちが師匠(十四世了道)を顕彰するために宝篋印塔を建てた。その塔が「筆子塚」として観音堂の前に残っている。

観音堂前の筆子塚。
境内にあったマンリョウ。
酒樽大黒天そばの水琴窟。
水琴窟の横にはカメさんが。
観音堂前の弘法大師像。そばにある鐘を鳴らせる。
釈迦の足跡を刻んだ仏足石。弘法大師像のそばにある。
山門を入ったところに六地蔵が並んでいる。
札堂の右隣に立っている金毘羅大権現のお堂。

いろいろ見て回ったのでひと休み…なんて思っていると、休憩所の横に大きな車輪が!
好奇心旺盛なワタシたちが惹かれないわけがなく、すぐさま車輪のほうへ行ってしまう。
「西光寺」の境内を散策しているときは、常にそんな調子だった。

観音堂前の休憩所。素朴です。
秩父夜祭の山車の車輪。

散策はまだ終わらない。観音堂の向かって右側に、浅間山の大噴火で命を落とした人々や家畜を弔うため、江戸時代に創建された四国八十八仏回廊堂があるからだ。
こちらには四国八十八か所霊場の札所寺院のご本尊を模刻した仏像が「コ」の字型の回廊に並んでいて、一巡すれば四国八十八か所巡拝と同じ功徳があるといわれている。

こちらの回廊堂はかつて巡礼者で賑わっていたものの、明治維新や太平洋戦争、さらには無住だった時期を経て、本堂や回廊堂などは荒廃していたという。それを憂えて十六世の量全和尚代の昭和46年(1971)に復元を発願。回廊堂は創建時の故事にならい、浄財を募って修復された。

こちらには四国八十八か所霊場のご本尊だけでなく、「びんずるさん」こと賓頭廬尊者像も祀られている。

ちなみに、こちらの回廊堂は関東にも大師八十八か所霊場が開創されるにあたり、その由緒から特別霊場に指定されているとのことだ。

ワタシたちがお参りしたとき、他に参拝者がいなかったこともあって、しんと静まり返った回廊堂は外の世界とは隔絶されたような神秘的な雰囲気が漂っていた。

正直、ワタシはその空気に呑まれた部分もあったが、一緒にいたKはご本尊1尊ごとにしっかりと手を合わせてお参り。
それを見てワタシも我に返り、一緒に合掌した。

回廊堂の出口付近には、「弘法大師空海に帰依する」という意味の真言宗のお経「南無大師遍照金剛」と記された紙が置かれていた。
こちらは(確か)100円以上の浄財を納めればいただけるとのことで、ワタシはきちんと納めて紙をいただく。

御朱印をいただく際に対応していただいたのは2人のおばあちゃん。こちらのお2人、しゃきしゃきとしてとにかく元気! お2人の様子にKは「息が合ってたねぇ。似てないからきょうだいじゃないと思うけど、いとこ同士みたい」と感心していた。

「西光寺」の納経所。この入り口の前に「観音霊験記」の扁額があったらしい…。
「西光寺」の御朱印。

結局、お参りと散策でかかった時間は約1時間。さほど広くない境内で、かなり濃密な時間を過ごした。
ただ、そのぶんさすがに疲れたようで、「観音霊験記」の扁額の撮影を忘れていたことにブログを書いている最中に気づく。あらまあ…。
2026年、午歳総開帳で改めて1番札所から回る予定なので、そのときに忘れないようにしないと。4番札所「金昌寺」の「奥の院岩屋」も含めて。あと、7番札所「法長寺」、13番札所「慈眼寺」、26番札所「円融寺」の扁額も、だ。まさに備忘録だな…。

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(お出かけ日:2024年12月30日)
※敬称略させていただきます。
※施設情報は2025年1月時点のものです。

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