1999年末に落合博満のトークショーでサインをいただいてから数年間、実は今に続くようなサイン収集(インパーソン)活動はあまりしていない。
しかし、ワタシの活動に決定的な影響を与えた出来事が起こる。
2004年5月のことだった。
56本のホームランを放ったスラッガーがすごいのは当たり前だ!
この年、千葉ロッテマリーンズに1人の大砲が入団する。
韓国のサムスン・ライオンズからやってきた「ライオンキング」こと李承燁(イ・スンヨプ)だ。
デビューから9年間で320本以上のホームランを放ち、来日直前の2003年には56本の本塁打を放って韓国球界のシーズン年間記録を樹立。この記録は2024年現在、いまだに破られていない。
来日当時、世間には「どうせ韓国球界の記録でしょ」という冷めた反応があったのも事実だ。
しかし、ワタシと友人のEKにとっては、どこで打とうと関係ない。ワタシたちの中で李は1シーズンで56本ものホームランを放った偉大なスラッガーなのだ。これは当時から韓国球界に詳しかったEKの影響が大きかったのも事実なのだが…。
ただ、2004年のシーズンが開幕すると、縦に落ちる変化球に苦しんだ李は1か月ほどで二軍落ちしてしまう。
一方、この頃のワタシたちは「二軍の球場ではサインをいただきやすい」という情報をつかみ、実際に1~2回試していたが、これといった手応えまでは得られていない状況だった。
そんなタイミングで李の二軍落ちのニュースを知ったワタシたちは、すぐさまロッテ浦和球場に行くことを決めた。
李承燁(イ・スンヨプ)
■1976年8月18日生まれ ■韓国出身 ■183cm/85kg ■左投左打 ■内野手 ■サムスン・ライオンズ (1995~2003)
-千葉ロッテマリーンズ (2004~2005)-読売ジャイアンツ(2006~2010)-オリックス・バファローズ (2011)-サムスン・ライオンズ (2012~2017) ■本塁打王5回、打点王4回 、最多安打1回(タイトルはすべて韓国時代)
二軍の球場は選手との距離感が近すぎる!!
この日、ワタシたちは試合開始前に球場へ到着。それほど人はいないだろうと思っていたが、すでに数十人のファンが集まっていた。
このとき、室内練習場の前でいきなり李と遭遇! サインはいただけなかったが、「試合後に」という本人の言葉を信じて素直に引き下がる。
それにしても選手やコーチとの距離があまりにも近い! どこにでもあるような町中の狭い道路で、ファンの目の前を選手たちが何気なく通り過ぎていくのだ。なんなんだ、ここは天国か!? さっそくワタシとEKはボールとマジックペンを手に、気になる選手やコーチにサインをお願いしていった。
このときサインをいただいたのは内竜也、垣内哲也、喜多隆志、古賀英彦二軍監督、高沢秀昭コーチ、荘勝雄コーチの6人。
内は公立高校からドラフト1位で入団したばかりで期待していたし、垣内は西武ライオンズ時代からあと一歩伸びきらないところが好きだった。
古賀監督についてはEKがえらく熱くなっていろいろ説明してくれたが、今となっては詳細は忘れてしまった。ただ、海外の球界事情にも精通した貴重な人物であることは確かだ。
最後までしっかりとサインに応じた李承燁
この日の西武ライオンズとの試合には、李ももちろん出場。ホームランを放ったが、よく見えなかった。ロッテ浦和球場はネットのおかげで野球がいまいち観づらいので、これは仕方ない。
試合が終盤に差しかかったところで李の出番は終了。ここからは李の行動をチェックする。
やがて李がベンチから出てくると、たくさんのファンがすぐに近づいていき、自然と即席サイン会がスタート。
李の前に長蛇の列ができていくなか、李は1人ひとり丁寧に対応していく。こういうとき、途中でサイン会が終わってしまうのではないかと不安にかられるが、ワタシもEKも李からしっかりサインをいただくことができた。
ワタシたちがサインをいただいたあとも50人以上の列ができていたと思う。それでも李はサインを中断することなく、最後までファンに応じてから球場を去った。
これはあくまでワタシの記憶でしかないが、李にサインを求めたファンはおそらく100人以上いたと思うし、確実に数十分はサインに応じていたはずだ。
それでも李は嫌な顔をひとつしていなかった。
あの韓国球界の誇る大スターがこんなに丁寧な対応をしてくれるなんて、ワタシにとってはある意味ショックだった。もちろん、うれしい衝撃だ。
おまけに試合前だけでなく試合後も、選手やコーチは気さくにファンとふれあっている。こんな光景が見られるなんて思っていなかった。
もちろん、全員の選手やコーチがサインに応じているわけではない。
ワタシもEKもある選手に断られた。試合後で疲れていたり、これから練習があったりするだろうから、もちろん仕方のないことだ。
名前は伏せておくが、ファンを邪険に追い払った選手もいた。この選手が手首のスナップを効かせてタオルを払い、ファンを近寄らせなかった姿は今でも覚えている。
それでも二軍の球場は素晴らしい。
野球が間近で観られる。頑張ればサインをいただけるかもしれない…。
この日を境にして、ワタシは足繁く二軍の球場に通うようになった。
それから20年。コロナ禍を経て、状況は大きく変わった。
一時期、仕事の都合や生活環境の変化もあってインパーソン活動が途絶えた時期もあったが、今は再開して細々ながらも活動を続けている。
憧れる人物がいる限り、ワタシはインパーソン活動は続けるつもりだ。
(お出かけ日:2004年5月15日)
※敬称略させていただきます。