真福寺
■住所:埼玉県秩父市山田3095
■駐車場:あり
■電話:0494-22-1832
(光明寺)
※納経所は「光明寺」になります
秩父市の東側にある、標高656mの高篠山の中腹にある寺院。9世紀頃、鬼と化した老婆を憐れんだ大棚禅師が、老婆の供養のために堂宇を建てて聖観世音菩薩を安置したのが始まりとされる。室町時代の16世紀初頭に真福寺が秩父札所に加わって秩父札所34か所となり、西国33か所、坂東33か所と合わせて日本百観音が成立。天文年間(1532~1555)には秩父の古刹・光明寺の末寺に加わる。かつては本堂や仁王門などを備えていたが、万延元年(1860)の火災によって焼失。本尊が救出されたほか、須弥壇や彫刻の一部は取り出され、明治41年(1908)に再建された3間4面(約5.5m)の観音堂に転用されている。
Kとの秩父札所巡りで10番目に訪れたお寺。
埼玉県道11号 熊谷小川秩父線と埼玉県道82号 長瀞玉淀自然公園線が重なるあたりから山道に入っていった先に「真福寺」はある(北ルート)。または埼玉県道11号から「真福寺」の納経所である「光明寺」の前を通過し、そのまま東へ進んでも「真福寺」まで行くことが可能だ(南ルート)。
「真福寺」で参拝してから「光明寺」で御朱印をいただくことを考えると、北ルートから「真福寺」に向かい、南ルートを経て「光明寺」を目指すほうがいい。10月に「四萬部寺」の納経所でもそうやって回るように教えていただいた。
北ルートは細い道の左右に木立が並び、木漏れ日が差し込んでいた。その光景は周囲の静謐さと相まって神秘的でさえあった。
ただし、電柱に貼られた注意書きにあるように、山には獣猟の罠が仕掛けてあるとのことなので道から外れないほうが無難だろう。
ちなみに、南ルート沿いには川が流れていて、ちょっとした滝のようになっているところもある。
駐車場の前には広々とした景色が広がっている。「真福寺」への入り口は開放感のある景色の反対側で、15段ほどの古い石段がある。
石段を上った先には集会所と思しき古い建物が立っていて、こちらにも千社札が貼られていた。
集会所のそばには、苦しみの世から救ってくれる大棚救世観音が鎮座。ここから観音堂への参道が続いている。
さほど長くない石段を上った先にある観音堂は、「真福寺」が無住でひとけがないこともあり、昼間でもどこか世間とは隔絶された雰囲気が漂っている。ちなみに、山の中腹にある「真福寺」の周りには民家が数軒あるだけ。本当に静かで、鳥のさえずりがよく聞こえるほどだった。
ワタシとKは観音堂でお参りをしたのち、改めて境内を散策。
観音堂の向拝には龍、入り口の左右には唐獅子の見事な彫刻がある。これらが江戸時代の火災のときに救出され、再建時に転用されたものかはわからなかった。
散策のあとは南ルートから納経所のある「光明寺」を目指す。
ちなみに、「四萬部寺」~「真福寺」~「光明寺」のルートについて、10月に「四萬部寺」の納経所で教えていただいた話のおかげで、道の様子があらかじめイメージできてとても助かった。
光明寺(納経所)
■住所:埼玉県秩父市山田2191
■駐車場:あり
■電話:0494-22-1832
【御朱印受付 基本情報】
■受付時間:8:00~17:00
※11月~2月は16:00まで
※12:00~12:30は昼休憩
■定休日:なし
■御朱印料:500円
※2巡目以降は200円
平安時代の大同2年(807)、桓武平氏の始祖となった高望王の弟である恒望王が逝去した際、その屋敷跡に祈願所の光明庵を建立したのが始まりとされる。当初は真言宗だったが、鎌倉時代の文保2年(1318)に鎌倉の建長寺より法性国司物外を迎えて光明寺と改称。その後は時代の波に巻き込まれる形で秩父谷とともに光明寺も一時は衰退するものの、天正15年(1587)に朝谷是暾禅師を迎えて伝法開山。このときより光明寺は曹洞宗に改められて現在に至る。
「光明寺」の境内に足を踏み入れたとき、なんとなくざわめきを感じられて人里に下りてきたような印象を受けた。やはり「真福寺」は無住ということもあり、どこか浮世離れした雰囲気が漂っていたのかもしれない。
「光明寺」のご住職には御朱印をいただく際、お饅頭を2ついただいた。その節はありがとうございました! 札所巡りの途中でおいしくいただきました。
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(お出かけ日:2024年11月11日)
※施設情報は2024年11月時点のものです。