「JDFは流れ星のように… in マイアミ②~そしてフェルナンデスはクレメンテになった~」からのつづき
球場のオープン時間は基本的に試合開始の2時間前だ(この日の試合開始時間は19:10)。
いつもなら開門とともに入場し、サインをいただけそうなポジションまでダッシュする。
しかし、この日は意外な助っ人が現れて…!?
大好きなあの選手を発見!?
なんとなく開門を待っていたとき、マイアミで暮らす日本人のAさんが「これから一緒に入りませんか?」と声をかけてきた。
Aさんはマーリンズのファンクラブに入っていて、そのメンバー限定で16:30に球場へ入れるという。このとき、ワタシも一緒に入れてもらおうというのだ。
半信半疑のままAさんとともにファンクラブの人たちの列に並び、ワタシたちが入場するタイミングになると、Aさんが球団スタッフに何か話している。すると、本当に入場できてしまった! Aさん、すげー!! おかげでマーリンズの選手たちの練習が見られました!
入場後はレフトポール付近でJさんとともに練習を見物。
ただ、このタイミングでマーリンズの選手にサインをいただくのはけっこう難しいとのこと。
ワタシも無理はせず、練習を見ながらJさんからマイアミの話を聞いていた。
Jさんによると、キューバのグルメはアメリカでも珍しく、マイアミならではなのだとか。それはぜひ食べてみたい! 言葉がうまく伝わるか不安はあるが…。
対戦相手のニューヨーク・メッツの練習が始まったところで、Jさんとは別れて球場探索。
こういうタイミングでトイレや売店、サインをいただけそうなエリアなどをチェックしておくと、のちのち便利なんですよ。
球場内を歩いていると、その一角にボブルヘッドミュージアムが! ワタシが大好きなカーク・ギブソン1もいるじゃないですか!!
メジャーリーグを好きになった頃、ある雑誌にギブソンの強烈なタックルの写真が載ってまして。
それ以来、ギブソンのファンなんですよ。
亡き親友のために…まさかの一発!!
そろそろ試合開始時間が近づいてきたので、売店でおつまみとお酒を買って自分の席へ。
おつまみはJさんに勧められたようにキューバのグルメ。エンパナディージャという揚げパンにしてみました。
今回の席は3塁側内野席の前から15列目あたり。
開門直後はファンもまばらで、どれほど人が集まるのか不安だったが、試合開始が近づくにつれて、続々と人が入ってくる。
スタメンも発表されて、そろそろ試合開始だ。
この日、ワタシの隣に座ったのはおじいちゃんとおばあちゃんのご夫婦らしき2人組だった。
おじいちゃんは日本にいたことがあるようで、片言の日本語で「日本の方ですか」と声をかけてきた。
ワタシが日本語とつたない英語を交えながら話すと、しっかりと耳を傾けてくれたおじいちゃんはおばあちゃんに通訳し、それを受けたおばあちゃんはにっこり微笑んでくれた。
本来、この日の試合はフェルナンデスが先発マウンドを任されるはずだった。
しかし、そのエースはもういない。代わりにマーリンズの選手全員の背中にフェルナンデスの背番号16があった。
ワタシの周りのファンもフェルナンデスのジャージやTシャツを着た人たちばかり。
ワタシもチームショップで買ったばかりのフェルナンデスのジャージを着て試合に臨んだ。
試合前にはフェルナンデスの追悼セレモニーがあった。
両チームの選手がベンチ前に並び、オーロラビジョンに流れるフェルナンデスの映像を見守る。
映像のあと、両チームの選手たちが抱き合い、そのままグラウンドに残ったマーリンズの選手たちがマウンドで円陣を組んでいた。
その光景におじいちゃんは「寂しいですね」とつぶやいていた。
この日の試合はフェルナンデスの親友だというゴードンが初回に放った一発に尽きる。
1回裏、マーリンズの攻撃。先頭打者のゴードンは左打ちにもかかわらず、1球目はフェルナンデスと同じ右打席に入る。これはバッティングも好きだった亡き友のためだったという。
2球目からは左打席に入り、3球目を鋭いスイングで捉えると…。
「えっ!?」と思っている間、打球はみるみる伸びていき、そのままスタンドへ! ゴードンにとって、この年の第1号ホームランとなった。
スタンディングオベーションのなか、ゴードンは静かにベースを回っていく。
手を叩きながら、隣のおじいちゃんは泣いていた。
ワタシも涙をこぼしていた。野球を生観戦していて、泣いたのは初めてだった。
試合はメッツ先発のバートロ・コローンが乱調気味で、飄々と打たれては失点を重ねていく。
一方、マーリンズは中継ぎのブライアン・エリントンの球がムチャクチャ速いのが印象的だった。
試合は7-3でマーリンズの勝利。
試合後、マーリンズの選手たちは再びマウンドに集まり、円陣を組んでフェルナンデスに祈りを捧げていた。
選手たちが去ったあと、マウンドにはチームメートのキャップが…。
その後、おじいちゃんたちに挨拶をして別れる。このとき、22:50ぐらいになっていた。
現役選手が亡くなった直後の、あまりに悲しい試合…。こういう試合は一生に一度だけでいい。
ただ、試合中はざわざわと明るい雰囲気が漂っていたのは救いだった。
球場から出たあとはタクシー乗り場へ。試合後、ワタシは基本的に歩いて帰るのだけれども、Jさんの話を聞いたあとで夜のマイアミを1時間も歩く勇気は湧いてこなかったもので…。
タクシーの車内では、つたない英語で気さくなおっちゃんドライバーとなんとなーくな会話をしながらホテルへ。23:40頃にホテルへ到着。
その後は日記を書き、シャワーを浴びて1:30頃に就寝。
明日もタフな1日になりそうだ。
「JDFは流れ星のように… in マイアミ④~グランダーソンからの贈りもの~」へつづく
(お出かけ日:2016年9月25日~9月30日)
※敬称略させていただきます。
※施設情報は2024年8月時点のものです。
- 無類の勝負強さを誇った強打者。主にデトロイト・タイガースとロサンゼルス・ドジャースに所属。ドジャース時代の1988年、ワールドシリーズ第1戦にて両脚を負傷しながらも1点差の9回裏に代打として出場。あまりにも劇的な代打逆転サヨナラホームランを放ったことは有名。 ↩︎