そうだ!遺跡に行こう in 群馬③ 鎌原観音堂

旅行
鎌原観音堂
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そうだ!遺跡へ行こう in 群馬② 保渡田古墳群」からのつづき

もう何年前だろう。
そのとき読んでいたつげ義春の短編集の中に「魚石」という作品があった。
そこに数コマながら「日本のポンペイ」として鎌原についての話題が載っていた。

「魚石」によると天明3年(1783)、浅間山で大噴火が発生。
熱泥流は鎌原村に住む500人近くの人々を呑み込み、百数段あった鎌原観音堂の石段を15段しか残さないほどのすさまじさだったという。

読んだあとで「いつか鎌原観音堂に行きたい」と思ってはいたものの、当時は旅行といえば電車移動が中心だったため、行く機会になかなか恵まれなかったのだけれども…。

今回、ついに「鎌原観音堂」へ行くことに!
ただし、その前に腹ごしらえをしないと。とにかくお腹が空いてしまって…。
一方で、道はどんどん山の中へ入っていき、お店どころが民家まで減ってきて不安は募るばかり。
そんなとき、「道の駅 八ッ場ふるさと館」という看板を発見!

食堂は営業を終了していたものの、道の駅ならば売店に何かしら食べ物があるはずだ!
おっ、地元のキャベツを使った「八ッ場ダム焼き」のポスターがあるぞ!
…しかし売り切れ!!
そこでワタシたちはかろうじて売れ残っていたお饅頭で飢えをしのぐのだった…。

大噴火に負けることなく人々を見守りつづける鎌原観音堂

晩ごはんこそ豪勢に! そんな思いを抱きつつ20分ほど進むと、目の前に近代的な建物が。
これは「鎌原観音堂」のすぐそばにある「嬬恋郷土資料館」で、天明3年の浅間山大噴火で埋没した鎌原村から出土した品や噴火の資料が展示されているとのこと。
ただし、ワタシたちが到着したのは17時半。「嬬恋郷土資料館」はすでに閉館していた。残念…。

気を取り直して資料館の駐車場に車を停めると、すぐそばに冠木門があって、ここから観音堂へ下りられた。
階段の下に立つ聖観音は天明3年の大噴火から約200年後の昭和57年(1982)に建立されたのだとか。

鎌原観音堂
■住所:群馬県吾妻郡嬬恋村
 鎌原492
■拝観時間:24時間拝観可能

■駐車場:あり
■電話:0279-97-3852

天明3年(1783)の浅間山大噴火で壊滅した鎌原村(当時)にて、土石流に巻き込まれずに残った観音堂。噴火時に570人いた村人のうち、生き残った93人のほとんどはこの観音堂まで避難できた人々だったといわれる。

お堂のすぐ前には15段の石段が
今でも残っている。
その途中には、
「天めいの生死をわけた十五だん」
と彫られた石碑があった。

昭和54年(1979)に行われた
発掘調査によって、この石段はもともと50段あったことがわかったのだとか。

高さ6m以上にも及ぶ残り35段の石段は土石流に埋まり、発掘調査のときに石段の最下部で2人の女性の遺体が見つかったということだ。

訪れた時間が遅かったため、お堂には誰もおらず、近くのおみやげ屋も閉まっていた。
それでも地元の方々に今でも大切にされているお堂なのだということは伝わってきた。
ここまで地域とのつながりを感じさせる仏閣は珍しいと思ったくらいだ。

ボケボケの写真も多いけれど、少しでも「鎌原観音堂」周辺の雰囲気が伝われば…。
なお、この観音堂では今でも「鎌原観音堂奉仕会」の方々が鎌原の歴史を語り継いでいるのだとか。

いつかまた訪れることがあったら、語り部の方々の話を聞けたらいいな…そんなふうに思える場所だった。
おみやげ屋にどんなものが売っているかも興味があるし。
実は古いおみやげ屋が大好きなんですよ、ワタシ。

…さて、今回のドライブは最終目的地までなんとかたどり着けたわけだけれども、午前中に出発してから食べたのはアイスクリームとお饅頭のみ。
お腹があまりに空いて思考能力が低下した中で、「上州牛」という単語のみで近くのお店を検索。
すると出てきたのは草津温泉のお店。場所だけ調べてこのお店へ行くことに。なんて単純。

お店では炙り寿司とステーキ御膳をいただきました。
もう夢中になって食べてしまいましたよ…。

食後は湯畑をぐるっと回り、続けておっさん2人で足湯に浸かってのんびりタイム。
草津温泉にはまたいつか来たいと思いつつ、家路に就くのでした。

そうだ!遺跡に行こう in 群馬」おしまい

(お出かけ日:2024年4月7日)
※敬称略させていただきます。
※施設情報は2024年7月時点のものです。

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