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パッキー再来日! in 横浜

野球
トークショーのときのジム・パチョレック
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「あのパッキーが日本にやってくる!?」
そんな情報をどこで入手したのか、今となってはまったく覚えていない。
2004年の春のことだった。

日米交流150周年の記念イベントになぜかパッキーが!?

パッキーことパチョレックといえば、野球ファンならば横浜大洋ホエールズ(当時)時代の印象が強いかもしれない。
一方、5歳の頃から阪神タイガースのファンであるワタシだが、しぶとくて勝負強い打撃のパッキーがなぜか好きだった。
そんなパッキーが1992年にタイガースへ移籍。
頼りになるだけでなく野球に対して真摯なパッキーが一気に大好きになったが、翌1993年には体調を崩して現役引退。
ワタシの中では風の又三郎のような選手という印象が強く残った。

ジム・パチョレック
■1960年6月7日生まれ ■アメリカ出身 ■191cm/94kg 右投右打 内野手 ■横浜大洋ホエールズ(1988~1991)-阪神タイガース(1992~1993) ■首位打者(1991)

それから10年以上経った2004年、パッキーが日本にやってくるという。
日米交流150周年を記念したイベントが横浜で開催され、その一環である「日米ボールパークフェア」でパッキーのトークショーとサイン会が行われるのだとか。

この情報を入手したワタシは3月31日、会社から電話でイベントについて問い合わせ。
「パチョレックさんのイベントについてお聞きしたいんですけど…」
なんて話しているのを同僚のMくんに聞かれ、
「パチョレックさんって。あんた、会社でなんて電話をしてるんだよ」
と笑われてしまった。
その2日後の4月2日にはサイン会の整理券をゲットするためだけに、イベントの行われる関内まで朝からわざわざ出向いている。

背番号のリクエストなんてできません…

それから2日後の4月4日、野球好きのYさんとともにイベントへ。
トークショーにはホエールズOBの遠藤一彦と斉藤明夫も参加し、中でも斉藤の面白トークが炸裂。
ワタシの中では斉藤といえば「いかつい」という印象が強く、トークが面白いのは意外だった(失礼!)。
雨が降りそうなうえ、かなり寒い中でのトークショーだったが、そんなことを忘れさせてくれるくらい楽しかった。
トークショーが終わったあと、雨が降り出してきたにもかかわらず、帰り際にサインに応じてくれた斉藤には感謝しかない。
ただし、イベントの本番はこれから。
整理券を入手してまで参加したいと思ったパッキーのサイン会がいよいよ始まるのだ。

ワタシの番が回ってきたら「サインに入れてくれるナンバー(背番号)はタイガース時代の42で」なんて話しかけたかったが、気が小さくて、つたない英語しか使えないワタシにそんなことを伝えられるわけがない。
ボールにサインしてくれるパッキーを見守るのが精一杯。
それでもサインのお礼を言い、しっかりと握手をしてもらった。
ありがとう、パッキー!!

それから約20年、最初に書く短めの野球ネタは何にしようか考えたとき、このイベントがすぐに思い浮かんだぐらいだから、ワタシの中によほど深く刻まれているのだと思う。
今でもパッキーは元気かな。元気でいてくれるといいなあ。

(お出かけ日:2004年4月4日)
※敬称略させていただきます。

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